北海道で生まれ育った。公務員の父親のお陰で、北海道内を東西に転勤する生活が続いた。姉は転校もいくつかあったみたいだけど、私は運良く小学校五年の時に一回しただけだ。でもイヤだった・・・。

その後、転校した土地で高校を卒業するまでいる事が出来た。高校三年間は楽しい思い出ばかりとは言えないけど、青春の一ページを記憶しておくには十分な楽しさだった。

高校三年の夏に父が転勤になった。大学生で家から出ていた姉は別にして、転勤にともない家族がどうなるのか、私の夏休みは混乱した。昔ながらの夫婦である両親は当然一緒に行くものと思われ、とすると私が一人暮らしを始めないと行けなくなる。それは受験生の私には良い結果にはならないだろうと父が単身赴任をする事になった。

ともあれ、高校三年生の後半も学生生活に変化無く過ごす事が出来ることになった。秋の文化祭で好きだった同級生から告白されたり、受験勉強が思いのほか進まず困っていた事。でもそれほど真剣には悩んでいなかった事など、今から考えると楽しい青春の後半を過ごす事が出来た。

そして一校しか受けなかった第一志望の大学は落ちた。浪人が決まって、母も父のそばに一足先に行ってしまったあと、私は友人宅にしばらくお世話になっていた。しかも米をよく食べるからと生米を五キロほど持たされての居候だった。未成年だからアルコールは飲めない・・・(もう勝手に時効だということで書き進めることにする)もちろん友人宅でも酒は飲まなかったし、実はお正月のお神酒で吐いた事がある。だから飲みたいとも思わなかった。

卒業式当日の記憶はあまりない。卒業式の夜は、クラスメートが皆集まり、なにやら飲めない筈の酒を飲んでいた。そして当然のように酔ってしまって、泣きながら醜態をさらしていたようだ。好きな女の前で、友人の前で、号泣した。翌日父の元へ行かなければいけないことになっていたので、もうこの仲間とは会えなくなるんだと自分を追い込みながら、ひとりで号泣していた。お店を出てからも泣き、そして嘔吐していた。

翌日、数人の友人と駅で汽車を待っていると昨晩のクラスメートらがどんどんやって来た。また泣いた。昨晩のアルコールが残っていたとしか思えないくらいの泣き方だったと思う。皆に送られながら、発車した汽車の中で乗車口ロビーから指定席まで行けずに、ずっとロビーにいた。そのくらい涙が止まらなかった。

でも新しい土地でも予備校へ行き、楽しい生活が始まったのだが、そのときは目の前の時間がすべてだった。

高校の卒業式の思い出、それは「涙と酒」だ。そして卒業式の翌日に、その土地から離れるという珍しいことがあったから、ものすごく鮮明な卒業式の日になった。