学生時代として最後の卒業式から、もう30年ほどになろうか。小学・中学・高校・・・、それぞれに卒業式の想い出がある。また、それぞれに違った感慨深い想いがあります。

まだまだ子供だった頃の卒業式は、ただの学校行事の一貫としての感覚しかなく、もうこの通い慣れた学校に来る機会も無くなるという事に大した思いもなく、何気なく卒業式というイベントに出席したという思い出しか存在していません。

それでも中学校の卒業になると、思春期ということもあり親友や多くの友達との別れに寂しさと辛さの入り混じった感情が込み上げてきた事を覚えています。

そして、やはり一番感慨深い思い出があるのは、高校の卒業式。春まだ寒い日の事でした。
明日、卒業式という日、当日の卒業式の準備などに忙殺されている後輩たちの様子を覗きに行ったのです。生徒会の役員をしていたこともあり、生徒会の後輩たちが色紙を切った花吹雪の準備をしているのを知っていました。

毎年のことながら卒業生全員におもいっきりたくさんの花吹雪を掛けるのが例年の習わしなのです。それだけに用意すべき色紙の量も半端なく、同時に裁断する量も膨大になるのです。生徒会役員と、その友人をかき集めて最低でも十数人の人数にて、前日まで裁断するのが常だったのです。が、まだ電動のシュレッダーなど無い時代の事。完全手動の裁断機と学校備品のハサミだけで紙吹雪を作るのです。

その辺の事情も知り尽くしているだけに、今年もさぞや大変な思いで用意に勤しんでいるだろうと、駄菓子を土産に後輩の労いに行ったつもりでした。ところが、花吹雪を裁断準備しているはずの生徒会室には、数名の役員のみ。今年は段取りよく既に裁断を終えて、皆帰宅したのかと聞くと、まだ終わってないが、他の者たちは帰ってしまったと言う。

結果、現在の紙吹雪の量だと例年の半分程度しかないとのこと。毎年、足元が埋まるほどの莫大な量の花吹雪がもはや名物のようになっているが、結局まき散らした紙吹雪を掃除をするのも自分たち生徒会役員の仕事。まき散らした揚句にそれを掃除するのなら、初めから少な目にしとけば掃除も楽になる・・・、という正論を唱える者が出たらしい。すると、いい加減、裁断業務にウンザリしていた者達もそれに賛同してしまうことになったようだ。

そんな中、紙吹雪の量は伝統であり、莫大に舞い散る紙吹雪の中を退場していく卒業生たちを見て感動する人たちが大勢いる。それが我が校の卒業式の代名詞のような映像だから膨大な量は必要だと唱える奇特な者もいたと言う。裁断をする人数は半分くらいになってしまったが、伝統を守るためにも徹夜しても裁断を続けるという後輩の言葉に、卒業式の前の日に思わず涙してしまったものでした。

その後、自分も裁断を手伝わせてくれと言ったのですが、先輩の裁断した紙吹雪を先輩に掛けることはできないと、それだけはさせるわけにはいかないと固辞され、仕方なく帰宅したのですがどうしても気になり、作業を中断し帰宅した後輩の家に行き、さっきの事情を説明すると、本人も帰ってしまったものの後悔しており、今からほかの者にも声をかけて学校に戻ると言ってくれました。だから、もちろん卒業式当日は例年通り、否、例年以上の莫大な量の花吹雪が自分たち卒業生を飾ってくれました。その紙吹雪が目に入り、心に入り、熱くてアツくて、とどめなく涙が流れてしまいました。